巷の英語 4(2019年春篇)

冠詞 ─ この厄介なるもの

こんな広告を見た。

mobit

お気づきだろうか。 「利点(advantage)」の意味なら value ではなく virtue が妥当だ。 加えて、 virtue には不定冠詞が要る。

次も同じく三井住友カードのコマーシャル。
“Have a good Cashless.” は意味を成さない。
単純に、”Go cashless.” でよかろう。

Have a good Cashless 2

日本の最大手銀行の1つである三井住友銀行の従業員3万人の中には、 英語母語話者を含めて英語の達人が少なからず居よう。 ただ、その能力を吸い上げるシステムが欠如しているのだろう。

これはひとり三井住友銀行に限らない。
世界のトヨタ然りである。
次の怖ろしい英語を御覧じろ。

Engrish in the Bahamas

こんなものなのか

2019年3月7日、愛知県公立高等学校の入試が行われた。以下はその抜粋である。下線部に着目しつつお目をお通しいただきたい。

《聞き取り検査》

【第1問】会話文を聞き、あとの質問に対する答えとして正しいものを選びなさい。

1番
Jason:   Which book should I borrow from here?
Yumiko:  Let’s finish our homework.
Jason:   Homework? Do we have homework?
Yumiko:  Yes, we do. English and math.

Question: Where are they?
a. They are in ① the library.
b. They are near ① the post office.
c. They are in front of ① the station.
d. They are behind ① the bookstore.

2番
John: Aya, you’ll come with us to the basketball game next Sunday, right?
Aya: That’s right, John. ② What time and where are we going to meet?
(質問および選択肢省略)

【第2問】英文を聞き、あとの質問に対する答えとして正しいものを選びなさい。
Yesterday my father and I visited my grandfather and helped him with his shopping. ③ Three of us took a bus to a department store. The bus was crowded, so we stood near the door.
Suddenly, a tall boy came to us and gave his seat to my grandfather. He was in a T-shirt which had his high school name on the back. He was so cool. I want to be a kind person like that ⑤ student.

問1  What happened on the bus?
a. The father got sick and they gave up shopping.
b. They ⑥ could find a priority seat near the door.
c. The boy wore the same T-shirt as his father.
d. The boy gave his seat to the grandfather.

問2  How did ⑦ sheknow that the boy was a high school student?

a. His sport bag had his high school name on it.
b. She saw his school name on his T-shirt.
c. He talked about his school with friends.
d. He talked about himself to the family.

《筆記検査》

4 (4) 〔簡潔を旨とし、設問を省き英文(Eメールの体裁)のみ掲載〕

Hi, Ellen.
Our teacher sometimes ⑨ makes a short speech in the morning. This morning he told us ⑩ the story about the importance of listening to people. I wrote it down in the classroom journal. By the way, I had a test in my math class today. It was very difficult, but I did my best.
Bye for now.
Laura

さて、皆さんはいかが感じられたであろうか。

以下に私見を述べたいと思う。

① 私はthe library / the post office / the station / the bookstore に若干の違和感を覚える。Theは誤りとは言えないが、ここでは特定の場所をさしてはいないから、それぞれ a library / a post office / a station / a bookstore とするのがより自然だろう。
なお、質問文を Where are the boy and the girl? とすると主語が明確になる。⑦を参照されたし。

② When and where が最も自然で最も多く用いられるコロケーションであろう。ただし、Aya が「最初は時間だけ聞こうと思って What time と言いかけたのだが、場所も聞いておかなくてはいけないことに気づき where を付け加えた」という場合に限り、”What time … and where?” も可能ではある。
ちなみに Where and when? の語順もあり得るが、NOW Corpus で検索するとwhen and whereが 8520例、where and whenが5849例で、前者の用例のほうが多かった。発音上、when and where の方が言い易いのが理由の1つだろう。これらに比して what time and where はわずか15例しかなかった。

③ Three of us の of は「部分」を表す of であり、「私たちのうちの3人」の意となる。ということは、私たちは4人以上の集団になる。ところがこの文脈では「私たち」は「祖父と父と私」の3人だけである。
「私たち3人」なら正しくは the three of us だ(ちなみにこの of は「同格」を表す of)。あるいは we three、または単純にwe だけでよい。

④ 混んだバスの中で背の高い若者が “突然” 近寄って来られるものだろうか。仮にそうしたとしても、立った瞬間にその席は他の乗客にとられるのではないか。A tall boy (suddenly) stood and offered his seat to my grandfather. などとするのが妥当であろう。

⑤ student が唐突に私には聞こえる。理由は⑧に記す。

⑥ could find より、単純過去の found の方が良かろう。COULD を用いると hypothetical なニュアンスを帯びる。

⑦ she が話者の I であることを理解するのに一瞬の間が必要だ。代名詞が照応する名詞が前に無いからだ。The speaker / the girl などの方が抵抗なく耳に入る。

⑧ 或る高校のTシャツを着ているからといって必ずしもその若者がその高校の生徒だとは限らない。例えばHARVARD のTシャツを着ている人は世界各地に何万人といるだろうが、その多くはハーバードの学生ではない。確かに普通の町の普通の高校のTシャツを着ている若者がその高校の生徒である可能性は高いかもしれないが、高校生ではない兄弟や友人である可能性も否定はできない。
ここは、know の代わりに guess を使えば強引さを軽減できる。中学生レベルの語ではないが、TOEFL などでは infer がよく用いられる。

⑨ 教師が朝のショートホームルームで話すのは speech というより talk であろう。私なら “Our teacher makes a short speech” ではなく”Our teacher gives us a short talk” とする。

⑩ Laura が Ellen に宛てたメール内において、storyは新情報であるから、冠詞は a でなくてはならない。
冠詞の基本的用法に立ち返ろう。I have a bike and a helmet. The bike is blue and the helmet is red. この a と the の用法は中学1年の学習事項だ。

 

<終わりに>

聞き取り検査の朗読はネイティブ・スピーカーに依頼したのではないかと思うのだが、依頼されたNSがなぜ問題の不自然さに気づかなかったのか(或いはそれを指摘しなかったのか)という点が、謎だ。

以上、私の指摘の半分は英語というより言語感覚の問題だ。したがって、私と感覚を異にする人も少なからずおられるだろう。思考・議論のきっかけになれば幸いと考える所以である。

What Comes From the Heart

On October 13th, 2017, I sat in front of the TV watching the 9 o’clock news, and learned that Bob Dylan would be awarded that year’s Nobel Prize for literature. Part of me was disappointed that Haruki Murakami was not chosen again. But the other part of me was glad because Dylan’s songs in the early 60s were the songs of my youth.

While half-listening to the newscaster, I thought of a person who would deserve the prize. His name is Noam Chomsky. He’s renowned as a philosopher, linguist and social critic. Particularly, he is known as the originator of Universal Grammar, a hypothesis that provoked a whole new perspective on language. If I may use the word “God” lightly like many Japanese do these days, he is the God in the field of linguistics.

On October 31st, 1996, I had the opportunity to go and listen to Chomsky speak at Columbia University. The reason I remember the exact date is because on that very day the first snow of the season fell in New York. Anyway, my friend and I arrived at the lecture hall 30 minutes earlier, and waited with great anticipation.

The session began on time, and the MC introduced two speakers. To our surprise, the first speaker was Chomsky himself. Usually, the most important person is the last speaker, isn’t it? In a detached manner Chomsky came up onto the stage and began to speak. Without using any gestures or emphatic tone of voice, he just spoke calmly and gently, which is his unchanged style. His English was smooth, beautiful, just perfect. Although his topic that day had nothing to do with language, the audience was quite satisfied just because they were able to hear Chomsky speak live.

The second speaker was a young man from East Timor. East Timor is a small Southeast Asian country which was being occupied by Indonesia at that time. He began to speak. But his voice was trembling and he had a strong accent. He used present tense for all verbs without the third-person singular suffix. We had to stop and think after almost every word of his. But gradually we got used to his accent and habit of speaking, and began to understand why he was there. The tremble in his voice was not due to nervousness but to his memories of the brutal tortures by the Indonesian Army. We noticed his right ear was half gone. He told how he had managed to escape from the concentration camp. There he was on that stage to let as many people as possible know what was going on on that small island. Towards the end of his speech, he said he wanted to go back to his own country to fight for peace and freedom. His last words were unforgettable: he said he’d be willing to lose his left ear to help attain the independence of his homeland. When he left the stage, the audience gave him an even bigger applause than when Chomsky left.

It was then that I understood why the famed scholar was the preliminary speaker, and the anonymous young man was the main speaker. His words were words from his heart and his voice was the voice of his heart. That’s why his speech was powerful and persuasive in spite of his poor broken English. As my favorite saying goes, what comes from the heart goes to the heart.

On May 20th, 2002, East Timor declared independence.

 

east timor

倚りかからず

 詩集は売れない。好きな詩や詩人はあっても、詩集を買ってまで読むという人が極めて少ないからだ。詩集は300部売れれば並み、千部を超えたら上出来という世界である。

 そんな中、1999年に発行され、たちまち15万部を売り上げ、20年経った今でもなお売れ続けている詩集がある。それが茨木のり子の『倚りかからず』だ。骨太の詩集で、自立を求める女性たちから圧倒的な支持を受けた。終わりのスタンザを抜粋する。

「もはやいかなる権威にも倚りかかりたくはない
 自分の耳目 自分の二本足でのみ立っていて 
 なに不都合のことやある 
 倚りかかるとすれば 
 それは椅子の背もたれだけ」

読むたびに私は背筋がピンとなる。

 私が茨木のり子の詩に出会ったのは、1970年、新任英語教師として西尾高校に赴任した時だった。鄙びた町の古い学校で、文学との縁も深く、校歌の作詞者は「人生劇場」の尾崎士郎、そして同窓生の1人に茨木のり子がいた。

 私の担当の部活は「文芸部」で、主顧問の先輩教員と部員わずか3人の小さな部だった。部員の1人に生徒会長がいて、勝手知ったる彼は先輩面をして右も左も分からぬ新米教員の私にため口をきいた。主顧問は楚々とした美人国語教師で、この人が茨木のり子の詩について私に手ほどきをしてくれた。「学校、あの不思議な場所」はその時に学んだものだ。

「”ぼくたちよりずっと若いひと達が 
 なにに妨げられることもなく 
 すきな勉強をできるのはいいなァ 
 ほんとにいいなァ” 
 脈絡もなくおない年の友人がふっとつぶやく」 

全篇から、自由と平和に対する筆者の強い願いが読み取れる。

 私はこの西尾高校に14年間勤務し、36歳で岡崎高校へ転勤となり、岡崎で17年勤務したのち、53歳の時に再度転勤命令が下りた。転勤先は、新任教員として赴任した西尾高校だった。いわゆる出戻りというやつだ。

 2003年4月、懐かしの西尾高校へ赴くと、何と、かつてのため口の生徒会長が、今度は同僚としてそこにいた。おまけに私は彼のクラスの副担任で、仕事もその学年の卒業アルバム係という、いわば若手がする仕事を押し付けられた。「こんなつまらん仕事は俺のようなベテランには不釣り合いだ」と嘯く私に向かって彼が言ったのが、「先生、つまらん仕事も大事な仕事だよ」の一言だった。

 私は一瞬きっと彼を見返したが、マア、言われてみればその通りで、ならばいっそアルバム作りを楽しんでしまおう、これまでにないものを作ってやろうと思い直した。

 真っ先に思い浮かんだのが、茨木のり子の詩「学校、あの不思議な場所」を載せることだった。同窓会名簿で茨木さんの住所を割り出し、お願いの手紙を書き、間もなく快諾のご返事を頂いた。詩は見返し2ページに載せ、表紙をめくると最初にそれが目に入るように装丁した。写真屋が見本を組んでくれたので、額縁に納めて茨木さんにお送りすると、今度は丁寧な礼状が届いた。ただ、代筆と添えてあったので、どこかお悪くされているのだろうかと気掛かりになった。

 卒業式当日アルバムを配布すると、生徒会長から、「今年のは一味違うね」というお褒めの言葉をもらった。

 その2年後の2006年3月、茨木のり子さんから訃報が届いた。

「このたび 私 この世におさらばすることになりました。これは生前に書き置くものです。私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。あの人も逝ったかとたったの一瞬思い出して下されば それで十分でございます。」

最後まで実に凛とした方だった。

 私はこの4月から、思うところあって断捨離を始め、これまでに3百冊ほどの本を処分したが、茨木さんの本は1冊たりとも捨てられない。ともすると勇気や意欲を失いかける自分を鼓舞するために、茨木のり子の詩が座右になくてはならないからだ。彼女のことばの胸のすくような歯切れの良さに加え、その清冽で潔い生きざまから、私は勇気と力をもらうことができるのだ。

 倚りかからず、自分の足で立って、残る人生を全うしたいと念ずる今日この頃である。

 

 

 茨木のり子 詩四篇

 

わたしが一番きれいだったとき (1957)

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた 
できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように                   
                                                      ね

 

 

WHEN I WAS MOST BEAUTFUL

                       訳詞:片桐ユズル
      作曲:Pete Seeger (1968)

When I was most beautiful
Cities were falling
And from unexpected places
Blue sky was seen

When I was most beautiful
People around me were killed
And for paint and powder
I lost the chance

When I was most beautiful
Nobody gave me kind gifts
Men knew only to salute
And went away

When I was most beautiful
My mind was empty
My heart was stony
My limbs glowed chestnut-brown

When I was most beautiful
My country lost the war
I paraded the main street
With my blouse sleeves rolled high

When I was most beautiful
Jazz overflowed the radio
I broke the prohibition against smoking
Sweet music of another land

When I was most beautiful
I was most unhappy
I was quite absurd
I was quite lonely

That’s why I decided to live long
Like Monsieur Rouault
Who was a very old man
When he painted such terribly beautiful pictures
You see?             

[第4スタンザは英訳欠落のため私訳]

 

 

学校 あの不思議な場所 (1958)

午後の教室に夕日さし
ドイツ語の教科書に夕日さし
頁がやわらかな薔薇いろに染った
若い教師は厳しくて
笑顔をひとつもみせなかった
彼はいつ戦場に向かうもしれず
私たちに古いドイツの民謡を教えていた
時間はゆったり流れていた
時間は緊密にゆったり流れていた
青春というときに
ゆくりなく思い出されるのは午後の教室
柔らかな薔薇いろに染った教科書の頁
なにが書かれていたのかは
今はすっかり忘れてしまった
 〝 ぼくたちよりずっと若いひと達が  
  なにに妨げられることもなく  
  すきな勉強をできるのはいいなァ  
  ほんとにいいなァ 〟
満天の星を眺めながら
脈絡もなくおない年の友人がふっと呟く

学校 あの不思議な場所
校門をくぐりながら蛇蝎のごとく嫌ったところ
飛び立つと 森のようになつかしいところ
今日もあまたの小さな森で
水仙のような友情が生れ匂ったりしているだろう
新しい葡萄酒のように
なにかがごちゃまぜに醗酵したりしているだろう
飛びたつ者たち
自由の小鳥になれ
自由の猛禽になれ

 

 

惑星 (未完詩篇)  

ひとびとは やがて    
ミルク珈琲色になるだろう    
黒・白・黄が 烈しくまじり    
煎れたての熱いミルク珈琲の色に    

言葉は いつの日にか 世界に    
共通のものを編みだすだろう    
母国語はそれぞれの方言となって    
野の花のように なつかしまれ    

血は どれだけ流せばいいのか    
流産はどれだけ繰返せばいいのか    
ゆっくり 廻る さびしい 惑星    

ばらばらなものを 一ツにしたい    
何十億年も前からの 執念を軸に    
猛烈な 癇癪玉まで 手に入れて

 

 

倚りかからず (1999)  

もはや    
できあいの思想には倚りかかりたくない    
もはや    
できあいの宗教には倚りかかりたくない    
もはや    
できあいの学問には倚りかかりたくない    
もはや    
いかなる権威にも倚りかかりたくはない    
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい    
じぶんの耳目    
じぶんの二本足のみで立っていて    
なに不都合のことやある    
倚りかかるとすれば    
それは    
椅子の背もたれだけ

『与作』を英訳してみた

 

YOSAKU

 

Yosaku works as a lumberjack
Hey hey ho, hey hey ho
Chopping sounds echo
 through the woods
Hey hey ho, hey hey ho

At home does his wife weave on a loom
Thump thump thump, thump thump thump
She is such a kind-hearted lass
Thump thump thump, thump thump thump

Yosaku, Yosaku
The sun will go down in no time
Yosaku, Yosaku
Can you hear her calling out your name?
Ho-ho, ho-ho

Down on to the straw-thatched roof
Hey hey ho, hey hey ho
Does the stardust fall from the sky
Hey hey ho, hey hey ho

Far into the night she pounds the straw
Thump thump thump, thump thump thump
She is such a hard-working lass
Thump thump thump, thump thump thump

Yosaku, Yosaku
The sun will come up in no time
Yosaku, Yosaku
Can you hear the mountains calling you?
Ho-ho, ho-ho.

 

Karaoke で歌ってみた。

sdr

YouTube にもアップしてしまった...
https://youtu.be/jP4QrnEUL50

 

 

 

 

 

 

“Grammar for Grown-ups”

世界最古の日刊紙であるイギリスの高級誌(と評される)The Timesに「あなたは我が子より高得点が取れるか?」という見出しで、“Grammar for Grown-ups『大人のための英文法』”より抜粋した文法問題が載っていた。 その中に “Should ‘I’ or ‘me’ be used?” という小見出しで次のような空所補充問題があった。

(1) Are you and (    ) going to get a new dishwasher?
(2) Who was the last person to be picked for the team? – (    ) was.
(3) The last person to be picked for the team was (    ).
(4) Who is doing this exercise – you or (    )?
(5) Who’s going to Barbados on holiday? – My husband and (    )!
(6) It wasn’t (    ) who messed up our marriage.

正解を見ると、順に、I / I / me / me / me / me となっていた。 なるほど、おそらくそれが現代英語における最も普通の用法であろうことは納得しよう。多くの類書にも、判を押したように同様の記述が見られる。もとよりNNS(非母語話者)の私が、著者諸姉の native speaker’s intuition に対して、何を言えようか。それに、私とて、インフォーマルな場面で “It’s I.” とは言わない。主格補語は主格が原則(上問3参照)だが、おそらくNSの頭の中で“It’s I.” は強すぎるという気持ちが働くため、控えめな “It’s me.” の方が用いられるのではないだろうか。また、彼らの頭の中に、“I love her. / She loves me.” などの類推から、動詞の前に来るのは主格、動詞の後ろに来るのは目的格という漠然とした感覚があるため、be-動詞の後にも目的格を使うようになってしまったのであろう。

しかしながら、同著のタイトルは『大人のための文法』であって、『最も普通の用法』などとなってはいない。 つまり、理論的には、(1)(2)に主格の I を入れるべきだと著者諸姉が判断したのなら、(3)(4)(5)(6)も同じく主格(4・5は主語のWhoに代わるものと考えるとわかりやすい)であるから、I を正解にすべきだと私は思う。このうち(6)に関しては、日本人高校生が学習する文法ではしばしば、it is ~ that (who) を省いても文として成立するのがcleft sentence だと教える。そのような判定法を高校生に伝授すべきか否かは別の議論に譲るとして、もしもこの括弧内に me が入るとしたら、Me didn’t mess up our marriage. という文が成立することになり、理論的には正しくないことが明白となる。

ただ、Cambridge Grammar を紐解くと、“Me and my wife always go shopping on a Saturday.” という例文が載っている。“usually only found in speech”という断り書き付きではあるものの、descriptiveな潮流に乗ろうとする意図が否めない。蛇足だが “Intermediate Grammar (Oxford University Press)”というタイトルの米人女性文法家による著作があるが、同書は“I couldn’t have come.”のSpoken Formとして “I couldn’t of come.” を載せている。音声的にはそう聞こえるかもしれないが、一変形として文法書に記述するようなことではない。ここまで来ると、もう、嗤うしかない。

以上を踏まえて、もしも私が著者の1人であったら、「(3)(4)(5)(6)は(歴史的・)文法的には I が正しいが、文末あるいは動詞の後に主格の I を用いることを多くの母語話者がuncomfortableに感じるため、実際の用例では me が多い」という補足を付すだろう。 旧来の Fowler、Strunkなどの prescriptive な(そしてときに権威主義的な)態度への反動から、できる限り descriptive たらんとする姿勢が昨今の主流だが、その姿勢が、美しかるべき言語の破壊につながる恐れがある行為であることに、当該著者諸姉はお気づきでないようなのが残念だ。

たかが発音、されど発音

2000年10月、日米首脳会談のレセプションで、英語は苦手という森首相がクリントン米大統領に向かって“How are you?”というべきところを“Who are you?”と言ってしまったために、大統領が“I’m Hillary Clinton’s husband.”と(ジョークで)答えたというエピソードが当時メディアを通じて流れたことがある。私には、体育会系の森首相がいかに英語が苦手でも、そんな基本的な表現をご存知なかったとは信じがたい。これは、そのエピソードを伝えた人(役人あるいは報道関係者)の側にあった英語の音声に関する誤解に起因すると私は思う。一般に日本人がwhoを発音するときにはf音が混じることが多いが、実際のwhoは[ホゥ]に近い。しかるに日本語的に発音されたhowは、英語本来の[hau]でなく[ホゥ]に聞こえないこともない。要するに曖昧で弱い日本人のhowはwhoの発音に近似している。森首相は確かに“How are you?”と言った(つもりな)のだが、残念ながらそれがクリントン氏には“Who are you?”に聞こえてしまったというわけだ。どちらのせいでもない。原因は日英の音声体系の違いにある。

HOW or WHO
(書き取りテストで Who が How に聞こえてしまった高校1年生の答案)

ことほど左様に、誤った発音はコミュニケーションに支障を来すことがある。「私は沈む、あなたは軽い」と英語で言ったら、真意が“I think you’re right.”だと分かってもらうのに少々時間がかかる。会話がそのやりとりの連続だとしたら、もはや会話というより連想ゲームに近い。

これを遡ること3年の1997年秋、私は、現代言語学の父と称されるノーム・チョムスキー博士の講演を聞く機会に恵まれた。ただし内容は言語学とは全く無関係で、東ティモールの独立運動を支援するための講演であった。先ず登壇したのは博士であった。言語学のみならず社会活動家としてもつとに知られた博士はクールで、その英語はあくまでも美しかった。博士に続き登壇したのは、インドネシア軍の拷問を受け、命からがら米国まで逃げ延びた東ティモールの青年であった。青年は発音も文法も拙く、聴く側は一語一語咀嚼しなければならなかった。ところが聴衆はいつしかこの青年の話に引き込まれていき、スピーチが終わると割れんばかりの拍手が会場に響き渡った。チョムスキー博士が前座、その青年が真打であることを私は納得した。

2008年1月、私はたまたまNHKのテレビ番組「仕事の流儀 プロフェッショナル」を観た。タイトルは「リーダーは太陽であれ」というもので、国籍50カ国から成る7,000人の従業員を率いて、サウジアラビアの巨大石油化学プラント建造に携わる高橋直夫氏をフィーチャーしていた。工事の遅れは時に100億円規模の損失につながるリスクと闘いながらも常に笑顔を忘れない氏の生きざまが美しい。途中、氏が従業員に英語で指示を出す場面があった。一聴するとすぐに気付くのだが、三単現の-sが無いし、冠詞が無い。しかしながら、語彙が的確なため誤解を招かない。しかも縦板に水の流暢さだ。そして、何より、恐ろしいほどの説得力がある。私は唸った。

この高橋氏と、前述の東ティモールの青年との共通点は、どちらも “something to say” を持っていることである。私は2011年と2012年、英語スピーチの全国大会に出場した。しかし、そんな口先だけの弁舌とは違う凄さが両者の言葉にはある。それは、どちらも、一つ一つの言葉が、それぞれの生き様、もっと言えば、いのちとかかわっているからである。

発音は大事だ。商談等の相手に向かってI’ll fax you the details.の動詞を誤った発音で言ってしまったら、とりわけ相手が女性の場合、次の契約はおろか、当該契約さえ破棄になる恐れがある。しかしながら、発音よりもはるかに大事なのが中身だ。What comes from the heart goes to the heart! やはり最後は人間性だ。これは若者たちへの励ましとともに、緑寿を過ぎても相変わらず愚かな自分への戒めだ。

 

〔別のArticle “What Comes from the Heart” もご参照ください〕