倚りかからず

 詩集は売れない。好きな詩や詩人はあっても、詩集を買ってまで読むという人が極めて少ないからだ。詩集は300部売れれば並み、千部を超えたら上出来という世界である。

 そんな中、1999年に発行され、たちまち15万部を売り上げ、20年経った今でもなお売れ続けている詩集がある。それが茨木のり子の『倚りかからず』だ。骨太の詩集で、自立を求める女性たちから圧倒的な支持を受けた。終わりのスタンザを抜粋する。

「もはやいかなる権威にも倚りかかりたくはない
 自分の耳目 自分の二本足でのみ立っていて 
 なに不都合のことやある 
 倚りかかるとすれば 
 それは椅子の背もたれだけ」

読むたびに私は背筋がピンとなる。

 私が茨木のり子の詩に出会ったのは、1970年、新任英語教師として西尾高校に赴任した時だった。鄙びた町の古い学校で、文学との縁も深く、校歌の作詞者は「人生劇場」の尾崎士郎、そして同窓生の1人に茨木のり子がいた。

 私の担当の部活は「文芸部」で、主顧問の先輩教員と部員わずか3人の小さな部だった。部員の1人に生徒会長がいて、勝手知ったる彼は先輩面をして右も左も分からぬ新米教員の私にため口をきいた。主顧問は楚々とした美人国語教師で、この人が茨木のり子の詩について私に手ほどきをしてくれた。「学校、あの不思議な場所」はその時に学んだものだ。

「”ぼくたちよりずっと若いひと達が 
 なにに妨げられることもなく 
 すきな勉強をできるのはいいなァ 
 ほんとにいいなァ” 
 脈絡もなくおない年の友人がふっとつぶやく」 

全篇から、自由と平和に対する筆者の強い願いが読み取れる。

 私はこの西尾高校に14年間勤務し、36歳で岡崎高校へ転勤となり、岡崎で17年勤務したのち、53歳の時に再度転勤命令が下りた。転勤先は、新任教員として赴任した西尾高校だった。いわゆる出戻りというやつだ。

 2003年4月、懐かしの西尾高校へ赴くと、何と、かつてのため口の生徒会長が、今度は同僚としてそこにいた。おまけに私は彼のクラスの副担任で、仕事もその学年の卒業アルバム係という、いわば若手がする仕事を押し付けられた。「こんなつまらん仕事は俺のようなベテランには不釣り合いだ」と嘯く私に向かって彼が言ったのが、「先生、つまらん仕事も大事な仕事だよ」の一言だった。

 私は一瞬きっと彼を見返したが、マア、言われてみればその通りで、ならばいっそアルバム作りを楽しんでしまおう、これまでにないものを作ってやろうと思い直した。

 真っ先に思い浮かんだのが、茨木のり子の詩「学校、あの不思議な場所」を載せることだった。同窓会名簿で茨木さんの住所を割り出し、お願いの手紙を書き、間もなく快諾のご返事を頂いた。詩は見返し2ページに載せ、表紙をめくると最初にそれが目に入るように装丁した。写真屋が見本を組んでくれたので、額縁に納めて茨木さんにお送りすると、今度は丁寧な礼状が届いた。ただ、代筆と添えてあったので、どこかお悪くされているのだろうかと気掛かりになった。

 卒業式当日アルバムを配布すると、生徒会長から、「今年のは一味違うね」というお褒めの言葉をもらった。

 その2年後の2006年3月、茨木のり子さんから訃報が届いた。

「このたび 私 この世におさらばすることになりました。これは生前に書き置くものです。私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。あの人も逝ったかとたったの一瞬思い出して下されば それで十分でございます。」

最後まで実に凛とした方だった。

 私はこの4月から、思うところあって断捨離を始め、これまでに3百冊ほどの本を処分したが、茨木さんの本は1冊たりとも捨てられない。ともすると勇気や意欲を失いかける自分を鼓舞するために、茨木のり子の詩が座右になくてはならないからだ。彼女のことばの胸のすくような歯切れの良さに加え、その清冽で潔い生きざまから、私は勇気と力をもらうことができるのだ。

 倚りかからず、自分の足で立って、残る人生を全うしたいと念ずる今日この頃である。

 

 

 茨木のり子 詩四篇

 

わたしが一番きれいだったとき (1957)

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた 
できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように                   
                                                      ね

 

 

WHEN I WAS MOST BEAUTFUL

                       訳詞:片桐ユズル
      作曲:Pete Seeger (1968)

When I was most beautiful
Cities were falling
And from unexpected places
Blue sky was seen

When I was most beautiful
People around me were killed
And for paint and powder
I lost the chance

When I was most beautiful
Nobody gave me kind gifts
Men knew only to salute
And went away

When I was most beautiful
My mind was empty
My heart was stony
My limbs glowed chestnut-brown

When I was most beautiful
My country lost the war
I paraded the main street
With my blouse sleeves rolled high

When I was most beautiful
Jazz overflowed the radio
I broke the prohibition against smoking
Sweet music of another land

When I was most beautiful
I was most unhappy
I was quite absurd
I was quite lonely

That’s why I decided to live long
Like Monsieur Rouault
Who was a very old man
When he painted such terribly beautiful pictures
You see?             

[第4スタンザは英訳欠落のため私訳]

 

 

学校 あの不思議な場所 (1958)

午後の教室に夕日さし
ドイツ語の教科書に夕日さし
頁がやわらかな薔薇いろに染った
若い教師は厳しくて
笑顔をひとつもみせなかった
彼はいつ戦場に向かうもしれず
私たちに古いドイツの民謡を教えていた
時間はゆったり流れていた
時間は緊密にゆったり流れていた
青春というときに
ゆくりなく思い出されるのは午後の教室
柔らかな薔薇いろに染った教科書の頁
なにが書かれていたのかは
今はすっかり忘れてしまった
 〝 ぼくたちよりずっと若いひと達が  
  なにに妨げられることもなく  
  すきな勉強をできるのはいいなァ  
  ほんとにいいなァ 〟
満天の星を眺めながら
脈絡もなくおない年の友人がふっと呟く

学校 あの不思議な場所
校門をくぐりながら蛇蝎のごとく嫌ったところ
飛び立つと 森のようになつかしいところ
今日もあまたの小さな森で
水仙のような友情が生れ匂ったりしているだろう
新しい葡萄酒のように
なにかがごちゃまぜに醗酵したりしているだろう
飛びたつ者たち
自由の小鳥になれ
自由の猛禽になれ

 

 

惑星 (未完詩篇)  

ひとびとは やがて    
ミルク珈琲色になるだろう    
黒・白・黄が 烈しくまじり    
煎れたての熱いミルク珈琲の色に    

言葉は いつの日にか 世界に    
共通のものを編みだすだろう    
母国語はそれぞれの方言となって    
野の花のように なつかしまれ    

血は どれだけ流せばいいのか    
流産はどれだけ繰返せばいいのか    
ゆっくり 廻る さびしい 惑星    

ばらばらなものを 一ツにしたい    
何十億年も前からの 執念を軸に    
猛烈な 癇癪玉まで 手に入れて

 

 

倚りかからず (1999)  

もはや    
できあいの思想には倚りかかりたくない    
もはや    
できあいの宗教には倚りかかりたくない    
もはや    
できあいの学問には倚りかかりたくない    
もはや    
いかなる権威にも倚りかかりたくはない    
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい    
じぶんの耳目    
じぶんの二本足のみで立っていて    
なに不都合のことやある    
倚りかかるとすれば    
それは    
椅子の背もたれだけ