たかが発音、されど発音

2000年10月、日米首脳会談のレセプションで、英語は苦手という森首相がクリントン米大統領に向かって“How are you?”というべきところを“Who are you?”と言ってしまったために、大統領が“I’m Hillary Clinton’s husband.”と(ジョークで)答えたというエピソードが当時メディアを通じて流れたことがある。私には、体育会系の森首相がいかに英語が苦手でも、そんな基本的な表現をご存知なかったとは信じがたい。これは、そのエピソードを伝えた人(役人あるいは報道関係者)の側にあった英語の音声に関する誤解に起因すると私は思う。一般に日本人がwhoを発音するときにはf音が混じることが多いが、実際のwhoは[ホゥ]に近い。しかるに日本語的に発音されたhowは、英語本来の[hau]でなく[ホゥ]に聞こえないこともない。要するに曖昧で弱い日本人のhowはwhoの発音に近似している。森首相は確かに“How are you?”と言った(つもりな)のだが、残念ながらそれがクリントン氏には“Who are you?”に聞こえてしまったというわけだ。どちらのせいでもない。原因は日英の音声体系の違いにある。

ことほど左様に、誤った発音はコミュニケーションに支障を来すことがある。「私は沈む、あなたは軽い」と英語で言ったら、真意が“I think you’re right.”だと分かってもらうのに少々時間がかかる。会話がそのやりとりの連続だとしたら、もはや会話というより連想ゲームに近い。

これを遡ること3年の1997年秋、私は、現代言語学の父と称されるノーム・チョムスキー博士の講演を聞く機会に恵まれた。ただし内容は言語学とは全く無関係で、東ティモールの独立運動を支援するための講演であった。先ず登壇したのは博士であった。言語学のみならず社会活動家としてもつとに知られた博士はクールで、その英語はあくまでも美しかった。博士に続き登壇したのは、インドネシア軍の拷問を受け、命からがら米国まで逃げ延びた東ティモールの青年であった。青年は発音も文法も拙く、聴く側は一語一語咀嚼しなければならなかった。ところが聴衆はいつしかこの青年の話に引き込まれていき、スピーチが終わると割れんばかりの拍手が会場に響き渡った。チョムスキー博士が前座、その青年が真打であることを私は納得した。

2008年1月、私はたまたまNHKのテレビ番組「仕事の流儀 プロフェッショナル」を観た。タイトルは「リーダーは太陽であれ」というもので、国籍50カ国から成る7,000人の従業員を率いて、サウジアラビアの巨大石油化学プラント建造に携わる高橋直夫氏をフィーチャーしていた。工事の遅れは時に100億円規模の損失につながるリスクと闘いながらも常に笑顔を忘れない氏の生きざまが美しい。途中、氏が従業員に英語で指示を出す場面があった。一聴するとすぐに気付くのだが、三単現の-sが無いし、冠詞が無い。しかしながら、語彙が的確なため誤解を招かない。しかも縦板に水の流暢さだ。そして、何より、恐ろしいほどの説得力がある。私は唸った。

この高橋氏と、前述の東ティモールの青年との共通点は、どちらも “something to say” を持っていることである。私は2011年と2012年、英語スピーチの全国大会に出場した。しかし、そんな口先だけの弁舌とは違う凄さが両者の言葉にはある。それは、どちらも、一つ一つの言葉が、それぞれの生き様、もっと言えば、いのちとかかわっているからである。

発音は大事だ。商談等の相手に向かってI’ll fax you the details.の動詞を誤った発音で言ってしまったら、とりわけ相手が女性の場合、次の契約はおろか、当該契約さえ破棄になる恐れがある。しかしながら、発音よりもはるかに大事なのが中身だ。What comes from the heart goes to the heart! やはり最後は人間性だ。これは若者たちへの励ましとともに、緑寿を過ぎても相変わらず愚かな自分への戒めだ。

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